2011年1月25日 [ コラム ]

インターネットの情報を利用する側が考えること

このコラムを書き始めて2回目の正月を迎えた。
この一年半の間にも情報セキュリティ、特にインターネットにおける情報セキュリティに関する新たな脅威が次々と現れた。脅威という表現が適切かどうか微妙ではあるが、昨年は『ウィキリークス』やいわゆる『尖閣ビデオ』の問題は印象的であった。昨年末の新聞にもいろいろと特集されていたのは記憶に新しい。

さて、今回は『インターネットの情報を利用する側が考えること』である。
筆者はインターネットを利用する際に、いつも次の2つの点に注意を払っている。

(1)このWebページ、大丈夫?
(2)この情報、本当?

(1)は、Webサイト自体がおかしなことになっていないかである。
例えば、

  • 正規なサイトにそっくりな偽ページを作り、クレジット番号などを搾取しようとするフィッシングサイトに誘導されていないか?
  • ガンブラー型攻撃を受けていて、悪意のあるスクリプトが追加されていないか?(ガンブラー型攻撃については本コラムのバックナンバーを参照頂きたい。)
  • クレジット番号やIDパスワードを入力する画面は暗号化された通信になっているか?

などである。
いずれも一般の利用者が簡単に判別できるような内容ではない。
これらについては機会をみてまた触れるとして、今回は(2)の点に絞ってお話したい。

インターネット上のWebページには様々なものがあり、誰もが簡単に世界へ情報を発信できる。少し前まではホームページを自分で作ることが多かったが、最近ではブログ、SNS、ツイッターなどでもすぐに情報発信ができ、全世界の人と情報共有が可能である。とても簡単・便利ではあるが、その情報の確からしさには十分注意しないといけないと感じている。

もともとインターネットが発明され社会で広く利用されはじめたころは、『インターネットは世界中を結ぶただの道路である。道を通過する情報が正しいか否かは利用者が判断するものである。』と言われていたように記憶している。誰もが簡単に情報発信できる以上、発信された情報の確からしさは発信者に委ねられ、利用者がインターネット上に公開された情報をどの程度信頼するかは個人の判断ということになる。

新聞などのマスメディアで、いわゆるプロのジャーナリストが裏を取って正確に伝える情報であれば確からしさは非常に高くなる。一方、インターネット上に無責任に流されている情報の確からしさは低くなると言わざるを得ないだろう。しかし、信用が置けないからすべて間違っているかというとそうではなく、読み物としてとらえてしまえば逆に面白かったりするわけである。

問題は、ひとつのインターネット上に確からしさが大きく異なる情報が混在して流されているときに、その確からしさを利用者が何を根拠に判断をするかである。

筆者は1960年生まれ、満50歳になったが、我々の世代がITツールを使い始めたのは大学時代の後半、あるいは社会人になってからである。16ビットパソコンが発売されたのが1981年、それまでの8ビットパソコンでは漢字が表現できず16ビットパソコンで初めて2バイト文字、すなわちひらがなや漢字の表現が可能になったのである。なんともクラッシックな話ではあるが、パソコンで漢字変換ができるようになった時は感動した。筆者は会社に入社した年に初めて16ビットパソコンを触った。そしてインターネットの商用サービスの開始が1991年であり、実際に一般的なPCのOSにインターネットへの接続環境が標準で装備されたのが、あの『Windows95』からである。すなわち1995年であった。携帯電話の普及も並行して進み、1999年にはiモードのサービスがスタートした。

何を言いたいかというと、筆者のような『おじさん』の世代であれば、パソコンや携帯電話のようなITツールは先に仕事で利用しており、その後コストダウンが進むにつれてプライベートでも利用するという図式であった。したがって、インターネットでもメールでも仕事での利用が先行したため、これらのデジタル化された情報の取り扱いには最初から慎重であり、確からしさの判断も様々な方面の情報から総合的に判断をした。

一方、『Windows95』が発売された1995年に小学校に入学した世代は、物心ついたころからすでにインターネットの利用が可能であり、実際1996年には学校へのPCの配備も始まった。小学校に入学するのが6歳なので1990年生まれとしても今年で21歳、あと数年で社会人デビューとなる。この世代は筆者がベーゴマや銀玉鉄砲で遊んでいたのと同じように、インターネットや携帯電話で遊んでいたというわけである。

したがって、生まれながらにしてITツールを利用しているこの世代は、デジタルデータを取り扱うのが当たり前であり、筆者のような『おじさん』の世代とは明らかに取り扱いの慎重さが異なる。インターネットに流れている情報の確からしさを『子供達』が判断するのは無理な話であり、確からしさが判断できるようになるための教育も当然必要となってくる。

とはいえ筆者が普段行なっているのは、
 ・ 情報は複数のページをみてその確からしさを判断する
 ・ 自分の子供達には日常的に注意するように促す
といったぐらいが現実である。

インターネットに流れている情報の確からしさをレピュテーションなどの技術を応用して自動的に評価できないものだろうか?
新しい仕組みの登場を期待したい。

次回は『進むデジタルデバイド』。


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